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No Bugs, No Life

読んだ本や、プログラミング、システム開発等のねたを中心に。文章を書く練習なので少し硬派に書くつもりだけど、どうなることやら。

BOOK:わたしたちはなぜ科学にだまされるのか―インチキ!ブードゥー・サイエンス

BOOK

わたしたちはなぜ科学にだまされるのか―インチキ!ブードゥー・サイエンス

わたしたちはなぜ科学にだまされるのか―インチキ!ブードゥー・サイエンス


読了。米国内における「ブードゥー・サイエンス」の事例(本書出版時点までなので20世紀の話が大半)とそれに対する著者の批判。
内容としては特にお勧めというほどでもないと感じているが、一寸思うところもあるので記録しておく。

因みに著者は、所謂"正当"の科学者で、米国内では「ブードゥー・サイエンス」の批判者ってことで有名らしいので、いうなれば「ブードゥー・サイエンス」の逆側の当事者ということ。

Robert Lee (Bob) Park (born January 16, 1931) is an emeritus professor of physics at the University of Maryland, College Park and a former director of public information at the Washington office of the American Physical Society.Park is most noted for his critical commentaries on alternative medicine and pseudoscience, as well as his criticism of how legitimate science is distorted or ignored by the media, some scientists, and public policy advocates as expressed in his book Voodoo Science.[2] He is also noted for his preference for robotic over manned space exploration.[3]

http://en.wikipedia.org/wiki/Robert_L._Park

主要なメッセージは、比較的常識的な「科学は検証可能で無ければならない」をバックボーンとして、「ブードゥー・サイエンス」の各事例では、その主唱者が検証可能性を満たしていないことを批判する内容。ここはまぁそうだよね、って感じ。

興味深かったのは、SDI(スター・ウォーズ計画)に代表されるような政治と科学の境界線上の事案に対して、政策当局が「パスカルの賭け」に乗りがちなスタンスに対する批判*1
とはいえ、科学的な意味でのフィージビリティが確保されていないとしても、政策当局としては「パスカルの賭け」に乗る動機付けはあるだろうな、とも思う。
そういうときに専門家として出来ることは、「その専門領域としてのフィージビリティの有無は明らかにするが、「パスカルの賭け」に乗るか否かの(政策)判断とは切り離す」か「(専門領域観点からの)フィージビリティ有無を1つの判断要素として、相手の土俵に踏み込む(政策判断に加わる)」かのいずれかだろうか。

何れのスタンスを取るべきかについてはそのときの状況に依存すると思うので一概には決められないが、著者が政策判断に何らか関与する立場にあった(後者のアプローチ)のであれば彼は批判される側であって、批判する側ではなかろう。
前者のアプローチのように、専門家として政策判断の部外者であったのであれば、政策判断の批判を「専門家としての立場から」批判するのは筋違いではないかな?(もちろん、政策判断者を選出した1市民としての批判は妥当だが。)


脇道ついでに、もう一点だけ別の脇道を。
「科学は検証可能で無ければならない」*2という考えこそが科学を科学ならしめているのだな、と。
当然、科学と一言でいうのは乱暴で、その領域によって検証可能性のレベルは濃淡があるだろうとは思うのだが、自分自身も関係しているIT関連のビジネス寄りの領域*3でも、「検証可能な何か」を広く基盤とするためにはどうしたらよいのだろう。としばし考える。

蛇足1

と学会(と学会公式HP)を思い出した。
日本トンデモ本大賞

蛇足2

「パスカルの賭け」はパンセ〈1〉 (中公クラシックス)にも載ってたが、あのロジックには納得していない。
要するに下表だと理解しているが、自分には結局は回心を促すための道具(としての詭弁)にしか思えないので。

神を信じる 信じない
神が居る 救われる 地獄におちる
神は居ない even even

ちなみに、パスカルは右上の「地獄におちる」を過大に評価しているようだが、結局は幼い頃から植えつけられた恐怖に囚われていたんだろうな。パンセは2013/4/19に読了していたが、信仰心の薄い自分にとっては、パスカルの信仰オリエンテッドな論調に辟易したので、このブログには敢えてエントリを書かない。愚痴の蛇足程度がお似合いだろう。

*1:お客様のエライ人から「システムとしてはどうなのよ?」とコメントを求められる1エンジニアとして、著者の気持ちはよーくわかります。

*2:本文にこのまま書かれていたわけではなく、私の意訳です。だいたいこんな意味のことを言っていると思うのですが、ミスリードさせていたらゴメンナサイ

*3:IT界隈でも『検証可能な』基盤があるのはわかっているけど、足回りが多いと思う。ビジネスに近づくほど検証可能性は薄くなる気がしている。